柳生宗矩は多くの大名から信頼されていた、名言・格言から魅力を探る!?

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柳生宗矩は江戸時代初期の武将ですが、徳川家の兵法指南役でした。「兵法家伝書」はあの剣豪宮本武蔵の「五輪書」と共に有名な武道書とも言われています。柳生宗矩は多くの大名から信頼されていました。名言・格言から魅力を探ってみましょう。

どうぞ、ご覧下さい。

柳生宗矩の紹介

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生誕:元亀2年(1571年)/死没:生保3年3月26日(1646年5月11日)

主君:徳川家康 ➡ 秀忠 ➡ 家光

江戸初期の武将、大名、剣術家で徳川将軍家の兵法指南役でした。大和柳生藩初代藩主で将軍家御流儀「柳生新陰流」の地位を確立した。

柳生宗矩の名言・格言

刀剣短くば一歩進めて長くすべし。

小才は縁に逢って縁に気が付かず、中才は縁に逢って縁を活かさず、大才は袖触れ合う他生の縁もこれを活かす。

【兵法家伝書】

兵法は人をきるとばかりおもふは、ひがごと也。人をきるにはあらず、悪をころす也。

平常心をもって一切のことをなす人、是を名人と云ふ也。

無刀とて、必ずしも人の刀をとらずしてかなわはぬと云ふ儀にあらず。又刀を取りて見せて、是を名誉にせんにてもなし。わが刀なき時、人にきられじと無刀也。

人をころす刀、却而人をいかすつるぎ也とは、夫れ乱れたる世には、故なき者多く死する也。乱れた世を治める為に、殺人刀を用ゐて、巳に治まる時は、殺人刀即ち活人剣ならずや。

人に勝つ道は知らず、我に勝つ道なり。

柳生宗矩の人物像

柳生宗矩は有能な官吏であり為政者で辣腕を振るい多くの大名に恐れられ頼られ伊達政宗、鍋島勝茂、鍋島元茂、毛利秀就など親交ありました。剣術家でもあった、宗矩の思想をまとめた「兵法伝書」は剣豪宮本武蔵の「五輪書」共に有名な兵法書です。宗矩は徳川家はもちろん多くの大名にからとても信頼されていた武将であったので多くの門下がいました。その門下は徳川将軍家では徳川秀忠、徳川家光、薩摩藩島津家では島津光久など、その時代の実力者ばかりです。


宗矩はいつも自然体というか肝が据わっていると思う逸話として、家光との逸話があります。それは、兵法の事で強い意見をした後、臍を曲げて1か月ぐらい家に引き籠った時に、
沢庵和尚に言った言葉「自分はなんとも思っておらず。全ては上様次第である。やましいことは、何もない。まっすぐなものだ」です。

宗矩の自然体で肝が据わっている言葉とは思いませんか?

相手は将軍家です!!

柳生宗矩のまとめ

私は柳生宗矩という武将をあまり知りませんでしたが、宗矩は徳川家はもちろんの事、他の大名にも信頼されていました。
人から信頼される人物は、有言実行できる人ですよね。
出来ないことを口にし、平気で約束を破ってしまうから信頼されなります。
どんな時代でも言葉は大切にしなければいけません。

最後まで読んで頂きありがとうございます。
今回は柳生宗矩のお話でした。

次回、お楽しみに!!

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