立花宗茂の名言・格言から人の気持ちを掴む方法を発見!?

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立花宗茂の認知度は余り無いと言えるでしょうが、宗茂の才覚は豊臣秀吉や徳川家康が認めるほどです。

また、立花宗茂の名言・格言からその才覚や温厚な性格が分かる気がします。

今回は立花宗茂についてお話しします。

立花宗茂の紹介

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生誕:永禄10年8月18日(1567年9月20日)/死没:寛永19年11月25日(1643年1月15日)

主君:大友義麟 ➡ 義統 ➡ 豊臣秀吉 ➡ 秀頼 ➡ 改昜 ➡
徳川家康 ➡ 秀忠 ➡ 家光

立花宗茂の名言・格言の紹介

戦いは兵数の多少によるものではない。一和にまとまった兵ではなくては、
どれほど大人数でも勝利は得られないものだ。

名を残すためにやったのではない。

秘密を持たなければ観察役は不要だ。

世間並みの一万の兵と、宗茂は配下の三千、五千の兵となんの差もありません。
軍の備え方がよいというだけではなく、常に兵士に対してえこひいきせず、

ひどい働きをさせず、慈悲を与え、少々の過失は見逃し、国法に外れた者は、
その法によって対処するのみです。

大将がいかに采配をとって、ただ”進め”とか”死ね”とか言ってみても、
そのような下知に従う者はいない。常々上は下を子のごとく情をかけ、
下は上を親のようにおもうように人を使えば、下知をしなくても思い通りに働くものだ。

立花道雪が宗茂の優秀で器量が良いところを見込み、宗茂を娘の婿養子として迎えたが、娘(立花誾千代)とは不仲だった為、道雪の死後別居した。
宗茂の律儀な行動として挙げられるのは、関ケ原の戦いの直前に徳川家康が法外な恩賞と引き換えに東軍に加わるようにと説得したが
「秀吉公の恩義を忘れて東軍側につくなら、命を絶った方がよい」と言い拒絶した。
また、寛永14年には島原の乱にも出陣し松平信綱の補佐をしました、宗茂は城兵の様子から夜襲を予期したことから宗茂の観察力の鋭さに
一同、舌を巻くほどだったそうです。

立花宗茂のまとめ

立花宗茂という人物を名言・格言から推測すると、まず人の気持ちを掴む事が非常に上手かったもではないでしょうか?
名言・格言で「戦は兵数の多少によるものではない。一和にまとまった兵でなくては、どれほど大人数でも勝利は得られないものだ。」に
宗茂の人をまとめる(気持ちを掴む)器量があったのではと思います。
現代会社組織で少数精鋭という言葉をよく耳にしますね。まさに、宗茂の名言・格言の通りですね。

今回は立花宗茂のお話でしたが、多くの人には余り知られていない武将ではないでしょうか?
恥ずかしながら、私は知りませんでした・・・。
最後まで読んで頂きありがとうございます。

次回、お楽しみに!!

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