竹中半兵衛は女性の様だった!?名言・格言からマインドを探る!!

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竹中半兵衛と言えば戦国時代でも有名な軍師です。
人望も厚く、織田信長にも信頼されていた竹中半兵衛。
今回は竹中半兵衛のお話をします。

竹中半兵衛/竹中重治の紹介

生誕:天文13年9月11日(1544年9月27日)/死没:天正7年6月13日(1579年7月6日)

君主:斎藤龍興 ➡ 浅井長政 ➡ 織田信長

竹中半兵衛の最初の名前は「重虎」から「重治」通称はご存知の「半兵衛」です。

戦国時代の軍師と言えば、2人が頭に浮かびます。

1人目は黒田管兵衛(黒田孝高)と2人目は竹中半兵衛(竹中重治)が有名です。

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黒田管兵衛を知りたい!!

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黒田管兵衛の記事

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竹中半兵衛の人物・逸話紹介

竹中半兵衛の逸話は有りますが、実のところ不明な点が多くあります。
ドラマで秀吉の家臣の様に描かれていますが、史料にはその記述が書かれおらず、むしろ織田家が秀吉につけた与力武将だったと考えらえています。

半兵衛は体が弱く、痩身で女性の様な容姿をしていた、出陣するときも静かで馬に跨るといったようでした。

周囲から見れば弱弱しいですが、半兵衛が自分の息子の竹中重門に軍物語を教えていると急に重門が席を立ちあがりました。
半兵衛が問うと重門は小用と答えました。

半兵衛は激怒し「たとえ、小便をたれ流そうとも、軍席を立ってはならない。竹中の子が軍談に聞き入って座敷を汚したと言われれば竹中家の面目であろう」と言ったそうです。軍師としての心構えが人一倍強くそしてプライドが高い人物だったと言えるでしょう。

名言・格言

陣中で死ぬこそ武士の本望。

名馬を買うと実際の戦闘の時その名馬を惜しんで戦機を逃すことになりますからこれがいいんです。

一人武者の手柄話を聞いたとて、何の役に立とう。部隊の駆け引き、戦いの変化などを主眼にして聞いてこそ合戦談も役に立つのだ。

馬に限った事ではない、武士は名こそ惜しけれ、義のためには命を惜しむべきはない。財宝など塵あくたとも思わぬ覚悟が常にあるべきである。

お前も褒めてもらいたければ、自分で手柄を立てろ。

竹中半兵衛のまとめ

竹中半兵衛の軍師としての実力は物凄いです、織田家に仕えそして、秀吉の与力武将として力を貸していました。秀吉が行った無血開城戦法の備中高松城の水攻めは半兵衛の戦略がヒントになったと言われています。
もし、半兵衛が30代という短い生涯ではなかったら、後の徳川家はどの様になっていたかと思います。
竹中半兵衛は裏方ですが、その生き方に共感する人は多くいます。あなたは、いかがですか?

最後まで読んで頂きありがとうございます。

次回、お楽しみに!!

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