戦国時代であの徳川家康を苦しめた武将を言えば・・・
六文銭の旗を掲げお守りにしていた?
有名な武将真田幸村です。
今回は真田幸村についてお話をします。
真田幸村の紹介
真田幸村(さなだ ゆきむら)/真田信繁(さなだ のぶしげ)
生誕:永禄10年(1567年)
死没:慶長20年5月7日(1615年6月3日)
主君:上杉景勝→豊臣秀吉→豊臣秀頼
真田幸村が特に知られるのは、大坂夏の陣で3,500の寡兵で
徳川家康の本陣まで攻め込んだ事です。
また、真田幸村と言えば、真田十勇士が頭に浮かびます。
真田十勇士って何?
真田十勇士は真田幸村に仕えた10人の家臣ですが、そのほとんどが架空人物であります。
しかし、存在人物がいたとも言われています。
真田十勇士の登場人物
猿飛佐助(さるとび さすけ)
霧隠才蔵(きりがくれ さいぞう)
三好海入道(みよし せいかい にゅうどう)
三好伊三入道(みよし いさ にゅうどう)
穴山小介「穴山小助」(あなやま こすけ)
由利鎌之助(ゆり かまのすけ)
筧十蔵(かけい じゅうぞう)
海野六郎(うんの ろくろう)
根津甚八(ねず じんぱち)
望月六郎(もちづき ろくろう)
色~架空人物
色~架空ではないかと言われている人物
色~実在した人物
真田十勇士の全てが架空人物と思っていましたが、実在した人物がいたのには
驚きました。
真田十勇士の物語が出来たきっかけは、徳川家康との戦いで幸村の奮戦する姿が
物語を生みました。
その幸村と戦った徳川家康に名言を残しています。
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真田幸村の名言
恩義を忘れ、私欲を貧り、人と呼べるか
関東勢百万候へ、男は一人も居なく候
定めなき浮世にて候へば、一日先は知らざる事に候
人の死すべき時至らば、潔く身を失いてこそ勇士の本意なるべし
真田幸村のシンボル六文銭について
六文銭は正確には六連銭ですが、六道銭からきています。
六道とは?
仏教で地獄(道)、餓鬼(道)、畜生(道)、修羅(道)、人間(道)、天(道)の
6つの世界(道)の事を言います。
真田幸村はこの六文銭(六道銭)を掲げる事で自分はどこで死んでも大丈夫という
気持ちになっていたのではないでしょうか?
六文銭が真田幸村のお守りだったのでしょう。
真田幸村のまとめ
真田幸村の名言と言えば「恩義を忘れ、私欲を貧り、人と呼べるか」は
「人からの恩義を忘れて私欲をむさぼる者は人と言えるか」の意味ですが、
忠義心が強い人物だとすぐに分かりました。
感謝を忘れない事の重要さが強く伝わりました。
真田幸村は義理高く、そして潔さは男の中の男ではないでしょうか?
今回は真田幸村のお話でした。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
次回、お楽しみに!!