大隈重信は幕末から大正にかけて活躍した人物です。
意外と知らない重信の人生年表を簡単に紹介してみましょう。
今回の登場人物は大隈重信です、最後までご覧下さい。
大隈重信紹介
大隈重信(おおくま しげのぶ)
天保9年2月16日(1838年3月11日)~大正11年(1922年1月10日)
大隈信保(佐賀藩士)・三井子夫妻の長男として生まれました。
上士の家柄でした。
大隈重信名言集紹介
失敗はわが師なり、
失敗はわが大なる進歩の一部なり。
わが輩は楽観説である。
人生を重んじて、常に未来に光明を望んで行くのである
幾多の失敗を重ねたが、
しかし恐縮はせぬ。
失敗はわが師なり、
失敗はわが大なる進歩の一部なり。
道が窮ったかのようで他に道があるのは世の常である。
時のある限り、
人のある限り、
道が窮るという理由はないのである。
- 怒るな
- 愚痴をこぼすな
- 過去を顧みるな
- 望を将来に置け
- 人のために善をなせ
学問は脳、
仕事は腕、
身を動かすは足である。
しかし、
卑しくも大成を期せんには、
先ずこれらすべてを統ぶる意志の大いなる力がいるこれは勇気である。
人間が生きるのは、
社会の利益のために存在するということだ。
ただ生きてるのではつまらない。
諸君は必ず失敗する。
成功があるかもしれませんけど、
成功より失敗が多い。
失敗に落胆しなさるな。
失敗に打ち勝たねばならぬ。
大隈重信の人生年表を簡単に紹介
1838年~佐賀で誕生する。
1854年~義祭同盟に加入する。
1856年~蘭学寮に入舎、国学を学ぶ。
1861年~英学を学ぶ。
1865年~長崎に致遠館を設立する。
1867年~脱藩、上京する。
1868年~徴士参与・外国事務局判事となる。
1869年~三枝綾子と結婚、大蔵大輔となる。
1870年~新政府参議になる。
1872年~博覧会事務局総裁となる。
1873年~参議兼大蔵卿となる。
1874年~台湾蕃地事務局長官になる。
1877年~西南戦争征討費総理事務局長官を兼務する。
1878年~地租改正事務局総裁を兼務する。
1881年~参議辞任する。
1882年~総理になる。東京専門学校を創設した。
1887年~伯爵に叙せられる。
1888年~伊藤内閣・黒田内閣の外務大臣に就任する。
1889年~爆弾により負傷、右脚切断 外相辞任する。
1896年~松方内閣に外務大臣として入閣する。
1898年~首相となる。
1902年~東京専門学校を早稲田大学と改称する。
1907年~政界引退する。
1908年~大日本文明協会設立する。
1910年~白瀬南極探検隊後援会長に就任する。
1914年~首相となる。
1916年~侯爵となる。10月に内閣総辞職する。
1922年~国民葬される。
大隈重信-まとめ
今回の登場人物は大隈重信でした。
私自身、重信の事は名前程度しか恥ずかしながら知りませんでした。
しかし、重信が残した名言の
諸君は必ず失敗する。
成功があるかもしれませんけど、
成功より失敗が多い。
失敗に落胆しなさるな。
失敗に打ち勝たねばならぬ。
物凄く、励まされる名言でした。
そして、年表を見てみると凄い功績でした。