大久保利通は幕末時代で人気の人物の一人です。
大久保利通の残した名言や座右の銘はどんなものだったのか?
今回は大久保利通についてお話しします。
最後までご覧くださいね。
大久保 利通(おおくぼ としみち)
生誕:文政13年8月10日(1830年9月26日)
死没:明治11年(1878年)5月14日)
薩摩藩士
西郷隆盛、木戸孝允大久保利通
「維新の三傑」と称される
大久保利通の名言・格言
堅忍不抜(けんにん・ふばつ)~どんなことがあっても心を動かさずじっと我慢して堪え忍ぶこと。
為政清明(いせい・めいめい)~政 (まつりごと) を行うには、心も態度も清く明るくなければならない。
彼は彼、我は我でいこうよ
今日のままにして瓦解せんよりは、
むしろ大英断に出て、瓦解いたしたらんにしかず
目的を達成する為には人間対人間のうじうじした関係に
沈みこんでいたら物事は進まない。
そういうものを振り切って、前に進む。
この難を逃げ候こと本懐にあらず
国家創業の折には、難事は常に起こるものである。
そこに自分ひとりでも国家を維持するほどの器がなければ、つらさや苦しみを耐え忍んで、志を成すことなど、できはしない。
大久保利通の名言・座右の銘から人間像を考える!!
大久保利通の名言や座右の銘から人物像を考えると、賛否両論あると思いますが
頑固である事や誠実、我慢強い人間だったのではないでしょうか?
座右の銘で「堅忍不抜(けんにん・ふばつ)」などは、我慢する事を指しています。
何故、大久保利通の座右の銘が「堅忍不抜(けんにん・ふばつ)」だったのでしょうか?
大久保利通は武士だったが、貧しい武士の家に産まれた事と一番のコンプレックスになっていたのは体が弱かったために武芸が得意ではなかったようです。
武士として武芸が得意でないことは相当のコンプレックス
そこで、大久保利通がコンプレックスを跳ね返す為に学問に力を入れたのでしょう。
周囲は武士であって武士でないと大久保利通を見ていたと思います。
だからこそ、周囲目にじっと我慢し耐え忍んだと言えるでしょう。
大久保利通の人間像を勝手に結論を出しますと
忍耐と堅物だったように思われます。
【大久保利通-名言-性格-まとめ】
大久保利通の名言と座右の銘を知って共感しました。
リーダーとなる人は何かしらコンプレックスがありそれをバネしています。
大久保利通は武士でありながら武芸が得意ではなく
そのコンプレックスに負けず学問に没頭し頭角を現したのです。
- 堅忍不抜(けんにん・ふばつ)
- 彼は彼、我は我でいこうよ
この2つの言葉は心に残りました。
最後までご覧くださりありがとうございました。