前田利家と言えば槍の名手です
若い頃は傾奇者と言われ、その傾奇ぶりに驚かされてしまいます。
特に織田信長の関係でその傾奇ぶりを発揮しました。
今回のお話は前田利家についてです。
前田利家の紹介
生誕:天文7年12月25日(1539年1月15日)/死没:慶長4年閏3月3日(1599年4月27日)
主君:織田信長→秀信→豊臣秀吉→秀頼
尾張国海東部荒子村(現在 名古屋市中川区荒子)
前田利家に影響を与えた最も関係が深い人物として、柴田勝家、織田信長、豊臣秀吉の3人がいます。
柴田勝家
織田信長
豊臣秀吉
前田利春の四男として産まれ、織田信長に仕えるが本能寺の変で
織田信長が明智光秀に討たれると柴田勝家に仕えるが、
その後羽柴秀吉(豊臣秀吉)に仕え豊臣家の繁栄に尽力を尽くす。
前田利家は槍の名手で知られ、利家の別名で「槍の又左衛門」「槍の又左」と言われ恐れられていました。
織田信長の異母弟と諍いを起こしてしまい、成敗は避けられなかったが
柴田勝家や森可成らの織田信長へ取り成しにより、出仕停止処分の減罰になり浪人生活をおくる。
しかし、出仕停止処分にも関わらず、信長に無断で出陣するなどの行動をした。
前田利家の容姿と言えば、その当時の男性の平均身長が157㎝でしたが
利家の身長は182㎝の体格をしていたそうです。
利家の使用していた槍は三間半柄(6m3㎝)の長さの槍を持っていたそうです。
前田利家の名言・格言紹介
人間は不遇になった時、友情のなんたるかを知るものだ。
戦場に出ては、我が思うようにして、人の言うことを聞き入れぬが良し
武門とは信義の番兵であり、人の生涯は心に富を備える為にある。
ともかくお金を持てば、人も世の中も恐ろしく思わぬものだ、逆に一文無しになれば
世の中も恐ろしいものだ。
前田利家のまとめ
戦国時代、傾奇者と言われていた前田利家ですが、その行動で驚いた事は織田信長に無断で出陣をした事でしょうか!
あの時代、やってはいけない行動ですよね?一歩間違えれば、命取りになってしまいます。
しかし、柴田勝家というサポートしてくれた人物が登場します。
前田利家の名言・格言で「人間は不遇になった時、友情のなんたるかをしるものだ。」
がありますが自分に絶体絶命のピンチが来た時、どれだけの人が自分を助けてくれるのだろう・・・。
まさに、織田信長と前田利家のぎくしゃくした関係を修復してくたからでしょうか。
また、「ともかくお金を持てば、人も世の中も恐ろしく思わぬものだ、逆に一文無しになれば世の中も恐ろしいものだ。」
お金があれば、それなりに人も寄ってきますし、生活も楽ですがお金が無い者は世の中の人から馬鹿にされます。
前田利家は人生のどん底を味わったからこそ、この様な名言が生まれたのではないでしょうか?
最後まで読んで頂きありがとうございます。
今回は前田利家のお話しでした。
次回、お楽しみに!!
利家の生まれ年が違います。
斎藤さん、教えて頂きありがとうございました。