小早川隆景は毛利元就の三男で豊臣家に仕えた戦国武将の1人で
天下人の秀吉、黒田官兵衛、鍋島直茂も認めていました。
小早川隆景とはどんな人物だったのか?名言から考えてみましょう。
今回は小早川隆景についてお話したいと思います。
小早川隆景の紹介
小早川隆景(こばやかわ たかかげ)
生誕:天文2年(1533年)/死没:慶長2年6月12日(1597年7月26日)
主君:毛利元就→隆元→輝元→豊臣秀吉
天文11年(1541年)~小早川興景が死去し、大内義隆の強い勧めがあり、天文14年(1544年)小早川の家督を隆景(徳寿丸)が継ぎました。
大内義隆(おおうち よしたか)
生誕:永正4年11月14日(1507年12月18日)/死没:天文12年9月1日(1551年9月30日)
小早川隆景を認めている武将は豊臣秀吉、黒田官兵衛などいますが、一番認めていたのは毛利元就かもしれません。
小早川隆景の名言、格言紹介紹介
意見をしてただちに請け合う者に、その意見を保つ者無し。
合点できぬことは何度も聞き返す者こそ、信の理解者なり。
耐え忍ばなければならないことを、どうすれば解決できるかよく考える必要がある。
自分の心に合うことは、皆、体の毒となると思え。
自分の心に逆らうことは、皆、薬になると思え。
長く思案し、遅く決断すること。
思案を重ねた決断であるなら、後戻りする必要はない。
分別の肝要は仁愛にあり、断ずるには仁愛を基とせざるべからず
仁愛を欠ける決断はことごとく曲事なり。
小早川隆景のまとめ
小早川隆景の名言からどんな人物か?忍耐の人物ではないかなと思います。
名言の言葉で「耐える」「長く」の言葉でわかるような気がします。
「自分の心に合うことは、皆、体の毒と思え。自分の心に、逆らうことは、皆、薬になると思え。」の
名言では共感が持てます。人間、楽な道に行きたがりますが、あえて厳しい道に進むことで自分自身にとってはスキルアップします。
よく、チャンスは一度きりだから、即断即決が良い事で遅い決断力はダメだと聞きますが、この名言はあなたにどんな思いを抱かせますか?
「長く思案し、遅く決断すること。思案を重ねた決断であるなら、後戻りする必要はない。」
最も隆景の人柄が出た名言と言えば
「分別の肝要は仁愛にあり、断ずるには仁愛を基とせざるべからず、仁愛を欠ける決断はことごとく曲事なり。」
仁愛で連想してしまった武将がいますが、その武将は直江兼続です。
隆景も義理人情を重んじる人物だったのではないでしょうか?
最後まで読んで頂きありがとうございます。
今回は小早川隆景のお話でした。
次回、お楽しみ!!