勝海舟は幕末の武士でも人気がある人物です。
江戸幕府(幕臣)の中心的な人物で江戸城無血開城を成し遂げ、その後の政治家としての
リーダーシップは頼もしいですね。
今回は幕臣、勝海舟のお話です。
どうぞ、最後までご覧ください。
勝海舟の紹介
勝海舟(かつ かいしゅう)/ 勝安芳(かつ やすよし)
生涯:文政6年1月30日(1823年3月12日)~明治32年(1823年1月19日)
江戸時代末期~明治時代初期の武士、政治家
山岡鉄舟、高橋泥舟と勝海舟は「幕末の三舟」と呼ばれています。
勝海舟の名言
《やるだけのことはやって、後のことは心の中でそっと心配しておれば良いではないか。どうせなるようにしかならないよ。》
《その人がどれだけの人かは、人生に日が当たってない時にどのように過ごしているかで図れる。日が当たっている時は、何をやってもうまくいく。》
《人の一生には焔の時と灰の時があり、灰の時は何をやってもうまくいかない。そんな時に何もやらぬのが一番いい。ところが小心者に限って何かをやらかして失敗する。》
《難しかろうが、易しかろうが、そんな事は考えずに、いわゆる無我の境に入って断行するに限る。》
《第一、自分の身の上について考えて見るがよい。たれでも始め立てた方針どうりに、きちんとゆくことができるか。とても出来はしまい。元来人間は、明日のことさえわからないというではないか。》
《あれのこれのと心配ばかりしていては、自然と気が餓え神が疲れて、とても電光石火に起こりきたる事物の応接はできない。》
《勝ちを望めば逆上し措置を誤り、進退を失う。防御に尽くせば退縮の気が生じ乗ぜられるだから俺はいつも、先ず勝敗の念を度外に置き虚心坦懐事変に対応した。》
《人はみな、さまざまに長ずるところ、信ずるところを行えばよいのさ。社会は大きいからあらゆるものを包容して毫も不都合はない。》
勝海舟の逸話と人物像とは?
当時、9歳の時に道で野良犬に睾丸を咬まれ、瀕死の重傷を負ってしまった勝海舟は数十日間危ない状態でしたが、父勝小吉の献身的な看護で回復しましたが、この事がトラウマになり小さな犬でさえ道で犬に出くわすと顔面蒼白になり震えが止まらなくなって動けなかったそうです。
また、勝海舟は、英語の辞書が欲しくてたまりませんでしたが貧乏の勝海舟にはとても買えないのでお金を払って辞書を模写させて貰う事を頼み込み、1年間で完全に模写し終えたのです。この強靭な粘り強さには驚きます。
また、勝海舟は江戸城無血開城を成し遂げるとういう大きな役目を果たした事は有名です。しその後、元江戸幕府の徳川慶喜の名誉回復や職にあぶれた幕臣などの世話を行います。
武士で剣の達人ながら勝海舟は生涯人を斬らなかったそうです。
勝海舟のまとめ
勝海舟の《やるだけのことはやって、後のことは心の中でそっと心配しておれば良いではないか。どうせなるようにしかならないよ。》の名言は精一杯努力し後は結果を待つという心構えには共感します。
それに、勝海舟の政治家としてリーダーとしての素晴らしい名言と言えば《あれのこれのと心配ばかりしていては、自然と気が餓え神が疲れて、とても電光石火に起こりきたる事物の応接はできない。》があります。政治家は勿論の事、学ぶべき事ですね。
幕末時代から明治に生きた勝海舟を好きな人は多くいるのではないでしょうか?
その、生き方、考え方は今でも学ぶべき事があります。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
次回、お楽しみに!!