加藤清正の虎退治から名言・格言から人物像を探る!?

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加藤清正と言えば・・・「加藤清正の虎退治」の話が有名でしょう!!

また、槍の名手、築城の名手、治水事業の名手であり面白い逸話も残っています。

今回は加藤清正のお話です。

加藤清正の紹介

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生誕:永禄5年6月24日(1562年7月25日)/死没:慶長16年6月24日(1611年8月2日)
主君:豊臣秀吉 ➡ 秀頼

加藤清正の身の丈六尺三寸(190cm)の長身であった、そして兜は長烏帽子形兜(ながえぼしなりかぶと)を被っていました。

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長烏帽子形兜

加藤清正の功績

加藤清正は藤堂高虎や黒田孝高などと同じく築城の名手として知られています。
熊本城、名護屋城、蔚山城、江戸城、名古屋城など多くの築城に携わっていました。
また、多くの治水事業を行っており400年後の現在でも実用される程、高度の土木技術を持っていました。

加藤清正の逸話

加藤清正が少年時代に叔父の屋敷に居た時、盗賊が押し入り叔父夫婦は盗賊に縛られたが、清正はとっさに鬼の面を被りつづらに隠れた、盗賊は重みのあるつづらを財宝と勘違いし持ち去り、盗賊がつづらを開けると同時に鬼の面を被った清正が飛び出してきたので鬼だと思い込み逃げ去った。

加藤清正が朝鮮出兵の時にもち米や水あめ・砂糖などを原料とした長生飴を常備し非常食としていた、これが熊本県の銘菓「朝鮮飴」です。

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朝鮮飴

あの、新選組の近藤勇がよくやっていた拳を口の中に入れるがこれは、加藤清正がやっていたことで近藤勇が清正に憧れていたことから始めました。

「加藤清正の虎退治」があります、それはある日清正の陣の近くに虎が現れ、馬を連れ去れたり、家臣が殺されたりする事件が起きていまいた。その事で激怒した清正が自ら山狩り行き、一匹の虎と遭遇し清正が槍で虎の喉を貫き殺害したと言われています。
(虎の皮や肉が精力剤になるということで、大名が競って虎退治をして豊臣秀吉に献上したという。)

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加藤清正の虎退治

加藤清正名言・格言の紹介

【表の並木には桜を、裏の並木には栗を】

【人は一代、名は末代。天晴武士の心かな】

【上一人の気持ちは、下万人に通ずる。】

【屍を戦場にさらすとも褥の上にて死なんとは思い設けず。】

【おまえは、自分の功を立て、かれは忠をつくした。】

【わしだって軽くしたい。だが、わしがこうしていれば家臣も見習い、常に戦時の備えを怠らないであろう。】

【汝らは、等しく我股肱腹心なり使うところはその器に従う。】

加藤清正のまとめ

加藤清正は転戦して武功をあげてきただけではなく、幾つもの治水事業に取り組んだり、また築城にも携わってきました。
槍の名手で大柄の男で兜が奇抜な長烏帽子形兜なのでもっと大きく迫力があったのではないでしょうか?

行動力そして才知があったので当然、徳川家康に恐れられていたと思います。一説に家康やその一派による清正毒殺説があります。それを題材とし池波正太郎の「火の国の城」があります。

現在でも加藤清正が好きな人が多くいるのは、その生き方に共感を持っているからでしょう。

今回のお話は加藤清正でした、最後まで読んで頂きありがとうございます。

次回、お楽しみに!!

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