伊藤博文の名言があなたに残すものとは?お札の人がもの申す!?

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伊藤博文と聞けば、やはりお札の人だと連想しますか?
それとも、名言を残している立派な政治家って連想しますか?

今回は名言を残した人、お札の人でもある「伊藤博文」が登場します。
最後までご覧下さいね。

伊藤博文の紹介

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伊藤博文(いとう ひろぶみ)

天保12年9月2日(1841年10月16日)
~明治42年(1909年)10月26日)

・※吉田松陰の元、松下村塾で学問に励みました。
・初代、第5代、第7代、第10代、内閣総理大臣となりました。

※吉田松陰の記事 ➡ こちら

★博文の簡単人生年表の紹介

1905年11月~ポーツマス条約に基いて第二次日韓協約(韓国保護条約)を締結する。

1905年11月22日~韓国内で怪我をする。

1905年12月~韓国統監府が設置され、初代統監に就任する。

1906年2月~日本公使館を韓国統監府に改める。

1908年~韓国銀行(のちの朝鮮銀行)を設立する。

1909年6月~韓国統監を辞任する。

1909年10月~ハルビン駅で生涯を終える。

博文の名言紹介

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お前に何でも俺の志を継げよと無理は言はぬ。持って生まれた天分ならば、
たとえお前が乞食になったとて、俺は決して悲しまぬ。
金持ちになったとて、喜びもせぬ。

たとえここで学問をして業が成っても、
自分の生国が亡びては何の為になるか。
今日の学問は全て皆、実学である。
昔の学問は十中八九までは虚学である。

本当の愛国心とか勇気とかいうものは、
肩をそびやかしたり、目を怒らしたりするようなものではない。

大いに屈する人を恐れよ、
いかに剛にみゆるとも、言動に余裕と味のない人は大事をなすにたらぬ。

いやしくも天下に一事一物を成し遂げようとすれば、
命懸けのことは始終ある。依頼心を起こしてはならぬ。自力でやれ。

国の安危存亡に関係する外交を軽々しく論じ去つて、
何でも意の如く出来るが如くに思ふのは、
多くは実験のない人の空論である。

私の言うことが間違っていたら、
それは間違いだと徹底的に追及せよ。

君らの言うことがわからなければ、
私も君らを徹底的に攻撃する。

互いに攻撃し議論するのは、
憲法を完全なものにするためである。

くり返すが、長官だの秘書官だのという意識は一切かなぐり捨てて、
討論・議論を究めて完全なる憲法をつくろうではないか。

伊藤博文-まとめ

今回の登場人物は伊藤博文でした。

そう、お札の人で有名ですが、意外と知らない名言やその人生。

博文は「余を以って秀吉を見れば、彼は畢竟(ひっきょう)、一個無学の好漢(こうかん)に過ぎない」と言ったようです。

この言葉がでたのも、博文の実績からなのでしょう。
自分の育った環境などを言い訳せずに、目標をもって確実に行動を起こした
結果が博文の自信になったのでしょう。

目標、行動力の強さに改めて考えてしまいました。

最後までご覧下さってありがとうございました。

※(意味)

※畢竟~つまるところ。結局。

※好漢~人間として好ましい(感じを与える)男。

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