北条早雲という武将がドラマの主人公にならないのは何故か?早雲の名言から分かる事、学ぶこと多くあります。
今回の北条早雲の名言からその人物像を探ります。
どうぞ、お楽しみに!!
北条早雲の紹介
生誕:永享4年(1432年)/死没:永生16年8月15日(1519年9月8日)
主君:足利義政 ➡ 義尚 ➡ 義稙 ➡ 義澄 ➡ 今川氏親
北条早雲の名言紹介
1:どこまでも自己というもを念頭に置いてはならぬ。
2:言葉については常に慎んでいなければならない。
一言聞かれても、その人の心は他に知られるのだから、注意せねばならない。
3:自分自身まずは万事やってみて、十分ようすを知りぬいた上で、それから人にやらせてもよいものである、と考えなくてなならぬ。
4:上下万民に対して、一言半句にても嘘言を申すべからず。
5:神仏を礼拝することは、見の行いというものである。
神仏を拝む気持ちがあるならば、ただひたすら心を正しくおだやかに持ち、正直一途に暮らし、上なる人を敬い、下なる者を憐み、包み隠しなく、有るば有るとし、無きは無いとして、ありのままの心持ちで生活することが、天意にも仏意にも叶うというものだ。
6:人の行いの善悪などどいうものは、みなその友人によるといっても過言ではない。
7:数多はじまりて事なかれといふことあり、何事も人にまかすべき事也。
8:朝は常に早く起きるように心がけなければならない。
遅く起きるならば、下の者までが気持ちを緩めてしまって、公務の大切な用事にも事欠くようになる。
9:刀・衣装、人のごとく結構に有べしと思ふべからず。
北条早雲の人物像
1457年に今川義忠が一揆の流れ矢に当たり、死亡するという大きな事件が発生しました。その事で今川家に家督争いが起こりました。
その争いを抑えた人物が北条早雲でした。当時、56歳でしたが今川家の重臣になり興国寺城の城主となりました。
早雲は物凄い倹約をする人でした、それは早雲寺廿一箇条で倹約家だと分かる文が有ります。
1.可信佛神事
2.朝早可起事
3.夕早可寝事
4.手水事
5.拝事
6.刀衣裳事
7.結髪事
8.出仕事
9.受上意時事
10.不可爲雑談虚笑事
11.諸事可人事
12.讀書事
13.宿老祇候時禮義事
14.不可申虚言事
15.可学歌道事
16.乗馬事
17.可撰朋友事
18.可修理四壁垣牆事
19.門事
20.火事用事
21.文武弓馬道事
北条早雲のまとめ
自分自身に厳しくし、その姿を家臣に見せていたからこそ、家臣に慕われ信用されていたと思います。
政治力、統率力もある早雲、今後ドラマになればと思います。