蒲生氏郷と言えば兜が有名でしょう!!「鯰尾兜」奇抜な形です。
また、蒲生氏郷は家臣から慕わられていました。
その人物像を名言・格言から見ていきましょう。
今回は蒲生氏郷についてお話します。
時代を動かした人物から学び生きる糧にする。
月別:2015年09月
生誕:天文4年7月23日(1535年7月23日)/死没:元和5年7月21日(1619年7月21日)
薩摩国の守護大名
豊臣秀吉の九州征伐で秀吉に降伏しました。
主君:島津義弘⇒豊臣秀吉⇒秀頼
良いことの五つは真似しやすく、悪いことの一つはなかなかやめられない。
昔の悪いことを知ると、自然と良いことが出来る。
悪人こそわが師である。
表に桜を植えたのは参詣する人が花を楽しみ、心が豊かになるだろうからだ。裏に栗を植えたのは、栗の実は何かあった時には
食料になり、枝は薪にも使うことができる、桜は花を楽しませ、栗は実を取る。
上よりまず礼儀を正し、家臣はその恩恵をかたじけなく感じて我が行いを恥じるようになりたいものだ。
肝要なところに気を配れ、どうでもよいところを気をつけるものではない。
島津義弘は豊臣秀吉はもちろんのこと、徳川家康にも恐れられていた武将で島津家の弱体化を図ったが島津家の結束が強く弱体化は出来なかった。
また、情け深い義弘は朝鮮の役後、敵味方関係なく高野山に供養塔を建設しました。
義弘は愛妻家だったことが、妻に送った手紙の内容から伺えられる、その内容は「3年も朝鮮の陣中で苦労してきたのも、島津の家や子どもたちの事を思えばこそだ、もし、自分が死んでしまったら子どもたちはどうなるのだろうと思うと涙が止まらない。お前には多くの子供がいるのだから、お前には強く生きて欲しい。一万部のお経を詠んでくれるより嬉しい。」愛妻家ですね。
義弘が老いて、一人で立ち歩き、食事を取ることさえも不可能になった時、家臣が「殿、戦でございます。」言い、城外で兵の鬨の声が聞こえると義弘の目は大きく開き、一人で普段では考えられない量の食事を平らげたという。
関ヶ原の戦いでは、敵中突破をした後、生き残った家臣らに薩摩に帰還を勧め、義弘は大坂で人質になっている妻子の救出に向かった。
島津義弘の人物像や名言・格言から分かることは、家臣や家族など大切にする武将であったと思います。
豊臣秀吉や徳川家康という天下人の2人にも恐れられていた事で義弘の凄さが分かってきます。
若い頃の義弘は血気盛んで、弘治3年の蒲生城攻めでは一騎討ちを制しながら鎧の5ケ所に矢を受け重傷を負いながら勇戦を見せたそうです。
そんな、勇猛な義弘の行動だから「鬼島津」と言われるようになったのでしょう。
しかし、以外にも義弘は愛妻家だったのです、今で言うなら仕事が出来て部下思いに家庭も大切にするお父さんなんです。
タイミングが合っていたら、島津義弘が天下人と言われたかもしれません。
今回は島津義弘のお話でした、最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
次回、お楽しみに!!
上杉謙信(うえすぎ けんしん)・上杉輝虎(うえすぎ てるとら)
身長156㎝
血液型:AB型
生誕:享禄3年1月21日(1530年2月18日)/死没:天正6年3月13日(1578月4月19日)
越後の統一を果たし、49年の生涯で武田信玄、北条氏康、織田信長、蘆名盛氏など幾つもの合戦をし、中でも5回戦った武田信玄との川中島の戦いは特に有名な話です。
上杉謙信は毘沙門天の熱烈な信仰家で軍旗は「毘」と「龍」を掲げていました。
軍旗にはそれぞれ意味があります。
「毘」は毘沙門天を表し、「龍」は不動明王を表します。
毘沙門天(多聞天)
仏法を守る四天王の1人。
「広目天」~西の方角を守る。
「持国天」~東の方角を守る。
「増長天」~南の方角を守る。
「毘沙門天」~北の方角を守る。
上杉謙信と川中島の戦を5回交えた武田信玄とは?
武田信玄(たけだ しんげん)
我ある故に毘沙門あり
死なんと戦えば生き 生きんと戦えば必ず死するものなり
人の落ち目を見て攻め取るは、本意ならぬことなり
自分は国を取るのではなく、後の勝ちも考えない。
さしあたっての一戦に勝つことだけを心掛けている。
人の上に立つ者の一言は、深き配慮を伴っていなければならない。
軽率な発言はもってのほかである。
【上杉家家訓十六か条】
心に気にかかる物のない時は、心は広く体も安らかである。
心にわがままのない時は、相手への愛と敬いの心を失わない。
心に欲のない時は、道理ある正しい道を進む。
心に私がない時は、疑うことをしない。
心に驕りがない時は、人を尊ぶ。
心に誤りがない時は、人を畏れない。
心に邪見がない時は、人を育てる。
心に貧りがない時は、人に諂うことがない。
心に怒りのない時は、言葉は和やかである。
心に堪忍がある時は、物事を調えられる。
心に曇りがない時は、心は静かである。
心に勇がある時は、悔やむことがない。
心が賤しくない時は、無理な願いをしない。
心に親への孝行心がある時は、主への忠節も厚い。
心に自慢のない時は、人の善を知り。
心に迷いのない時は、人を咎めない。
上杉謙信は戦国武将でも大変人気がある武将の1人です。特に武田信玄との川中島の戦いは幾度もドラマ化されました。
一説には上杉謙信は女性ではないかと言われており、しかし、仮に女性としても大変魅力的な武将です。
そして、上杉家家訓十六か条でも挙げられているもので、「なるほど」現代でも守りたいと思った家訓がありました。
その家訓とは「心に欲がない時は、道理ある道を進む」、「心に驕りがない時は、人を尊ぶ」は守っていきたい家訓ではないでしょうか?
最後まで読んで頂いてありがとうございます。
今回は上杉謙信のお話でした。
次回、お楽しみに!!